21世紀アジア学部の本気

編集部: 先生は21世紀アジア学部で、どのようなことを教えられているのでしょうか?

 今年の4月から、21世紀アジア学部に、英語科の教職課程が誕生しました。この教職課程を取ると、中学校と高等学校の英語教諭の1種免許状が取得できます。私がいま担当しているのは、英語の先生を目指して勉強を始めた1年生のゼミです。他にも、教職に必要な英語学の授業を担当しています。
  もうひとつは、2年生の社会科系のゼミですね。21世紀アジア学部では、中学校の社会科、高等学校の地理歴史科と公民科の免許状も取ることができます。英語にしても、社会科系にしても、先生になって生徒にものを教えるには、それなりのスキルが必要です。どうやったら人に分かるように教えられるかといったことを、学生たちはいま学んでいます。

編集部: 英語の先生になるためには、どのような勉強が必要ですか?

 先生になるということは、人にものを教えられる人間になるということです。だから、ただ英語ができるというだけではダメですね。いま、1年生のゼミでは基礎的な文法をやっていますが、人に教えるために身につけなければならない文法の知識というのがあります。話をわかりやすくするために、日本語の例を出しますが、たとえば、初対面の人に挨拶をするとき、「こんにちは。私は長田哲男です」という自己紹介があると思います。これはおかしくありませんよね。でも、もし、ここで私が「こんにちは。私が長田哲男です」といったら相手はどう思うでしょう。「この人誰? 有名人なの?」と思うんじゃないでしょうか。「は」と「が」の小さな違いですが、受け手の印象は大きく変わってしまいます。
 ただ日本語を学ぶだけなら、自己紹介では、ふつう「が」ではなく「は」を使うんだと覚えればすみます。実際、日本語のネイティブである我々は、理由は知らないけれど、「は」と「が」を正しく使い分けています。でも、日本語の先生になるには、それでは足りない。なぜ「が」ではなく「は」なんだと、理由をきちんと説明できなければいけません。相手が小学生なら「覚えてね」でいいかもしれませんが、中学生や高校生となると、ある程度理屈が伴わないと理解してもらえない。どれだけ、相手が分かるように説明してあげられるか、そこが先生になるための大切なポイントになってきます。

編集部: ただ英語ができるだけでは、先生にはなれないということですね。

 その通りです。英語ができるということと、人に教えられるということは、ぜんぜん別です。プロ野球でも、優秀な選手が必ずしも優秀なコーチになるとは限らないでしょう。自分が持っている技術をうまく人に教えられるというのは、まったく別のスキルです。いい先生になるということは、つまり、いい英語のコーチになるということなんですね。もちろん、そのためには、かなり高いレベルで英語を使いこなせる必要があります。野球でも、まったくの素人では、コーチには絶対になれませんから。
 21世紀アジア学部では、英語の教員を目指す学生に、1年次が終了するまでにTOEICのテストを受けて、ある程度の点数を取ってもらうように要求しています。ちょっと高めのハードルにしていますが、英語の先生を目指すのなら、それくらいは当然と考えています。文部科学省でも、英語の教員を目指す人間には、TOEICで730点以上の得点を要求しています。英語の力は、少々勉強したぐらいですぐに伸びるものではありません。もし、本気で英語の教員を目指すのであれば、高校にいるときから基礎的なことをしっかり勉強しておいてほしいと思います。本気で学びたいと思う学生には、私も本気で、持っている知識のすべてを教えるつもりです。

編集部: 教職以外でも、21世紀アジア学部は語学教育に力を注いでいますね。

 そうですね。他の学部と比べても、この学部は語学教育に力を注いでいると思います。たとえば1年生で英語とアジア語の授業がそれぞれ週に3回もあるのは珍しいんじゃないでしょうか。
 そもそもこの学部ができたのは2002年のことですが、そのときのコンセプトが、アジアに出て活躍できる人材を育成しようということでした。現在の中国やインド、東南アジア諸国などの急成長を見ると、かなり先見性がある学部といえるのではないでしょうか。英語のみならず、現地語となるアジア語もしっかり学ぶ。そして、日本を出て、海外の企業に入って活躍できるような人材を育てるのが、この学部が誕生したそもそもの目的です。
  この学部では、留学生を除き、全ての日本人学生が原則として海外語学研修という科目を履修することになっています。例えば中国語を学んでいるなら中国、韓国語なら韓国、タイ語ならタイといった具合に、卒業までに3~4週間、自分が学んでいるアジア語が話されている国に行って語学研修をしてくるわけです。実際に海外生活を経験すると、学生の意識も変わるようです。その国の食べ物を食べたり、ファッションや文化に触れたりするうちに、その国に対して興味がわいてきます。もっとその国を知りたいという思いから、またいっそうその国の言葉を学んでみようという気持ちがわいてくるんです。近年、日本の若者が内向きになって、海外へ出たがらなくなってきたといわれますが、21世紀アジア学部に限っていえば、海外を志向する学生が多いように感じます。

編集部: 先生はいつ頃から英語に興味を持たれたのですか。この道に進まれたきっかけは何ですか?

 私ですか? 私が英語に興味を持ち始めたのは、中学生のときです。私の通っていた中学では、毎週水曜日の午後、希望者のみを対象とした英会話の課外授業というものがあって、私は中学1年生のときから受講していました。初めのうちは生徒がいっぱいいたのですが、一人減り、二人減りで、最後は私一人になってしまいました。それで、教えてくださるネイティブの先生と仲よくなって、マンツーマンで教えていただきました。当時、英語でどんな会話をしていたのか、いまとなっては覚えていませんが、中学の三年間、毎週水曜日、欠かさずネイティブの先生と話せたことは大きかったと思います。
 具体的な進路として英語を意識しだしたのは、高校に進んでからです。私の通っていた学校は、中?高から大学まで一貫して学べるところでしたが、ちょうど高校生のときに、後に私の修士の指導教授になられる先生がいらして、講演をしてくださいました。子供がどうやって言語を学ぶのか、言語習得についての講演でしたが、その内容がすごく面白かったので、言葉について勉強しようと思うようになりました。
 それで大学に進学し、3年生のときに1年間、交換留学の制度でアメリカに行きました。そこで本当は言語習得について学ぶつもりだったのですが、「それは修士課程の授業だからダメだ」といわれまして、結局文法を学ぶことになりました。でも、勉強しているうちに文法が面白くなってきて、自然とそっちの分野を専門でやるようになりました。

編集部: 先生はNHKラジオで英語の講座を担当されたことがあるそうですね。
どのような講座だったのですか?

 はい。2005年4月から2007年の3月までの2年間、基礎英語2という講座を担当させていただきました。このラジオ講座は、自分にとってもいい勉強になりましたね。大学の授業は90分ありますが、ラジオは15分しかありません。90分もあると時間の使い方が大雑把になりますが、ラジオでは10秒でも余ると、その間に何かやってくださいといわれます。たった10秒でも、やれば何かできると思うと、1秒たりともムダにはできない、そういう考えがラジオを経験したことで自分の中に芽生えてきました。
 基礎英語2というのは、だいたい中学2年生レベルの英語なんですが、プログラム作りは、私とネイティブの先生とで一緒にやりました。これがなかなか難しい作業でして、私の方であらかじめ入れ込みたい文法を提示して、ネイティブの先生に会話の例文を作っていただきます。そして、上がってきたものを私の方でチェックして、2人で協力して練り上げていきます。ネイティブの先生も、教科書作りを担当なさるような人なので、一応日本の教育事情に通じてはいるんですが、それでもやっぱり日本の中学生がどこまで文法を学んでいるか、学習の進捗状況までは分からないんです。また、ネイティブの感覚では簡単な表現でも、中学校で習わないものもありますから、そのへんをチェックしながら作っていくのが難しいのです。これは、私にとっても、とてもいい経験になりました。

編集部: 先生のご専門は英和辞典だとうかがいました。具体的にはどのようなご研究ですか?

 私の主な研究は、明治、大正、昭和期の英和辞典の変遷を調べることです。どうやっていまのような英和辞典になったのか、簡単にいえばその歴史を調べているわけです。日本で最初の英和辞典は、江戸の末期に作られました。このときはまだ辞典というよりも、英単語に訳語を付けた、対訳辞典のようなものでした。それが明治の間に情報が増え、文法的な要素も加わって、大正?昭和の時代にはいまの英和辞典に近い形にまで発展してきました。
 時代とともに、辞書に載っている項目や訳語が増えてくるわけですが、私の研究は、それがどういう形で増えてきたか、増えてきた場合、どこからその情報を取ってきたかといったことを調べることです。当時は盗作という概念がなかったので、だいたいは海外の英英辞典から引っ張ってきています。じゃ、どの英英辞典を参考にしているのか、出版年などから推測して、しらみつぶしに調べていくわけです。幾人かの先生と共同でやっていた研究ですが、この作業は非常に忍耐のいるもので、心底疲れますね。

編集部: 先生はこの学部で、英語の学びを通して、 どのような人材を育てようとお考えですか?

 そうですね。まず、英語の教員を目指す学生についていえば、自分が先生となって教壇に立つとはどういうことか、その意義や目的をわきまえた教員になってもらいたいと思います。先生というのは、教科書と生徒の間に立って、ものを教える存在です。子どもたちは、わざわざ同じ時間、同じ場所に集まって、一人の人間の話を聞くわけです。だから、なぜ自分がそこにいるのか、なぜ自分が必要なのか。「それだけの価値のある授業をやるんだ」ぐらいの意気込みをもって、授業をやってほしい。たとえば、生徒にプリントを配るにしても、何のためにプリントを配るのか。そのプリントを配ることで、生徒に何を知ってもらいたいのか。1日の授業の中で、また1学期の中で、そのプリントがどんな意味合いを持つのか。そういうことまで考えて、教壇に立てる教員になってほしいと思います。
 そして、もうひとつ。先にもいいましたが、英語の教員を目指すためには、それなりの高い語学力が必要です。卒業までには、TOEICでかなりの高得点を取る必要があるでしょう。逆にいえば、21世紀アジア学部で英語の教職課程をきちんと修了することができれば、かなり高度な英語力を身につけた証拠になります。万一、教職の道には進まず、一般企業に就職する場合でも、教職課程で培った語学力はきっと有利に働くはずです。
 教職課程を取って、英語の教員を目指すもよし。英語に加えてアジアの言語を学び、日本を飛びだして、海外で勝負するもよし。いずれにせよ語学を真剣に学ぶことで、自分の将来はいろんな方向に広がっていくと思います。21世紀アジア学部で培った語学力を核として、たくましく生き抜いていける人材を、私は育成していきたいと思います。

長田 哲男(OSADA Tetsuo)教授プロフィール

●修士/早稲田大学大学院 教育学研究科修了
●専門/文法学、辞書学、英語教育

掲載情報は、
2012年のものです。